池袋演芸場鑑賞メモ
柳家はん治 千早振
三遊亭若圓歌 粗忽の釘
桃月庵白酒 そば清
金原亭馬生 天狗裁き
ひびき わたる (きせる芸)
三遊亭金時 笠碁
Freitag, Juli 28, 2006
Samstag, Juli 01, 2006
Im Krebsgang
終戦直前の1945年1月30日、凍てつく冬のバルト海で、赤軍から逃れる避難民九千人を満載した豪華客船『ヴィルヘルム=グストロフ』がソ連の潜水艦に沈められ、ほとんどの人が海の藻屑と消えた。しかし今ではそれも昔話となってしまい、沈み行く船の中で生まれて生き残った男の子もすでに五十の坂を越えた。その苔むした事件が、なぜ今更、極右サイト掲示板の話題をさらうようになったのだろうか…?
パウル=ポクリーフケはさえない中年のジャーナリスト。若い頃に学業を放擲し、それから右の新聞社でアジったり、左翼系の雑誌に革新ぶった記事を寄せたり、ふらふらヒヨってそれなりに稼いできた。そんな彼の母ウルズラは、彼に一つの事件について書くようにと執拗に求め続けている。「ヴィルヘルム=グストロフ号事件」だ。「知りたいじゃないか、三発ズドンと撃った時、露助め、何を考えてたのかねぇ」。その沈められた避難民たちの船で彼は生まれ、運良く生き残ったのだ。しかし彼はこれまで書こうとしなかった。右にも左にもなりきれず、独自の思想にもたどりつけない彼には、この事件を描くための言葉がなかったのだろうか?そして何故、いまさらこの事件を語り始めたのだろうか?
パウルの息子コンラートは離婚した妻のほうに引き取られたが、できそこないの彼とは違う優等生だ。コンラートはドイツ再統一の後に初めて会った祖母ウルズラのお気に入りになり、ヴィルヘルム=グストロフ号の話をたっぷりと吹き込まれている。彼が可愛くて仕方ない祖母は彼の欲しいものを聞き出し、パソコンを買い与える。パウルは父親でありながら、いつものけ者にすぎない。しかし、それでもインターネットで沈没船の情報を集めると、いろいろなところに夜の時間を犠牲にしてまで知っていることを教えてくれる物知りがいるのが分かるのだ。オンラインのチャットで、あの豪華客船沈没事件について微に入り細に入り教えてくれる「ヴィルヘルム」と「ダーヴィット」は誰なのか?祖母に買ってもらったパソコンを使った息子コンラートの独り芝居ではないだろうか?祖母に吹き込まれた知識をこんなところで披露しているのだろうか?
1936年2月4日、スイスのナチ党指導者ヴィルヘルム=グストロフはユダヤ人学生ダーヴィット=フランクフルターに暗殺された。グストロフは国家社会主義の殉教者に祭り上げられ、その名前を冠した船が建造された。挙国一致の労働組合『歓喜力行団』が建造した豪華客船『ヴィルヘルム=グストロフ号』は、等級のない、「民族同胞」のための船だった。これで誰もがわずかな費用で豪華な旅を楽しめた。ナチ党のおかげで。しかし敗戦直前、豪華客船はソ連軍の占領を恐れる9000人のドイツ人難民を満載してバルト海に出た。その船に三発の魚雷を放ったのはソ連海軍の潜水艦長アレクサンダー=マリネスコ。この手柄で国家英雄になるはずだった彼だがその期待も無駄に終わり、戦後、理不尽なシベリア送りから帰ったあとに残された余生はわずかだった。ヴィルヘルムもダーヴィットもアレクサンダーも沈没船のことも、戦後忘れ去られた。
こんな知識を粘着質じみた正確さで蒸し返し、反ユダヤ主義やら反独感情やらを、ネット上でひけらかしている分には害はない。しかし、最後に起こるのは時代遅れで復讐もどきの殺人事件だ。「ヴィルヘルム」と「ダーヴィット」は現実の世界で対面することになる。東独時代にファシストの墓として破壊されたグストロフの墓がある町、シュヴェーリンで。「ヴィルヘルム」と名乗っていたコンラートは、、ユダヤ人「ダーヴィット」を騙るドイツ人青年ヴォルフガングを射殺した。グストロフの記念碑に唾を吐いて冒涜したからだ。全ての事実関係は裁判で明らかになるが、まるっきりのドイツ人でありながら奇妙な贖罪観念に憑かれてユダヤ人になりきっていたヴォルフガングのことも、時代錯誤なネオナチ思想を抱くコンラートのことも、親達の理解を超えている。その後『ヴィルヘルム=グストロフ号』の知識をひけらかすサイトがどうなったかは分からないが、ネット上には「ユダヤ人」を殺した彼を称える新しいサイトができる。ウェブサイト『殉教者コンラート=ポクリーフケ』にはこれからどのような閲覧者が集まり、どのようなチャットが繰り広げられるのか。
「それは終わらない。決して終わらない。」この言葉をもってこの小説は終わっている。
パウル=ポクリーフケはさえない中年のジャーナリスト。若い頃に学業を放擲し、それから右の新聞社でアジったり、左翼系の雑誌に革新ぶった記事を寄せたり、ふらふらヒヨってそれなりに稼いできた。そんな彼の母ウルズラは、彼に一つの事件について書くようにと執拗に求め続けている。「ヴィルヘルム=グストロフ号事件」だ。「知りたいじゃないか、三発ズドンと撃った時、露助め、何を考えてたのかねぇ」。その沈められた避難民たちの船で彼は生まれ、運良く生き残ったのだ。しかし彼はこれまで書こうとしなかった。右にも左にもなりきれず、独自の思想にもたどりつけない彼には、この事件を描くための言葉がなかったのだろうか?そして何故、いまさらこの事件を語り始めたのだろうか?
パウルの息子コンラートは離婚した妻のほうに引き取られたが、できそこないの彼とは違う優等生だ。コンラートはドイツ再統一の後に初めて会った祖母ウルズラのお気に入りになり、ヴィルヘルム=グストロフ号の話をたっぷりと吹き込まれている。彼が可愛くて仕方ない祖母は彼の欲しいものを聞き出し、パソコンを買い与える。パウルは父親でありながら、いつものけ者にすぎない。しかし、それでもインターネットで沈没船の情報を集めると、いろいろなところに夜の時間を犠牲にしてまで知っていることを教えてくれる物知りがいるのが分かるのだ。オンラインのチャットで、あの豪華客船沈没事件について微に入り細に入り教えてくれる「ヴィルヘルム」と「ダーヴィット」は誰なのか?祖母に買ってもらったパソコンを使った息子コンラートの独り芝居ではないだろうか?祖母に吹き込まれた知識をこんなところで披露しているのだろうか?
1936年2月4日、スイスのナチ党指導者ヴィルヘルム=グストロフはユダヤ人学生ダーヴィット=フランクフルターに暗殺された。グストロフは国家社会主義の殉教者に祭り上げられ、その名前を冠した船が建造された。挙国一致の労働組合『歓喜力行団』が建造した豪華客船『ヴィルヘルム=グストロフ号』は、等級のない、「民族同胞」のための船だった。これで誰もがわずかな費用で豪華な旅を楽しめた。ナチ党のおかげで。しかし敗戦直前、豪華客船はソ連軍の占領を恐れる9000人のドイツ人難民を満載してバルト海に出た。その船に三発の魚雷を放ったのはソ連海軍の潜水艦長アレクサンダー=マリネスコ。この手柄で国家英雄になるはずだった彼だがその期待も無駄に終わり、戦後、理不尽なシベリア送りから帰ったあとに残された余生はわずかだった。ヴィルヘルムもダーヴィットもアレクサンダーも沈没船のことも、戦後忘れ去られた。
こんな知識を粘着質じみた正確さで蒸し返し、反ユダヤ主義やら反独感情やらを、ネット上でひけらかしている分には害はない。しかし、最後に起こるのは時代遅れで復讐もどきの殺人事件だ。「ヴィルヘルム」と「ダーヴィット」は現実の世界で対面することになる。東独時代にファシストの墓として破壊されたグストロフの墓がある町、シュヴェーリンで。「ヴィルヘルム」と名乗っていたコンラートは、、ユダヤ人「ダーヴィット」を騙るドイツ人青年ヴォルフガングを射殺した。グストロフの記念碑に唾を吐いて冒涜したからだ。全ての事実関係は裁判で明らかになるが、まるっきりのドイツ人でありながら奇妙な贖罪観念に憑かれてユダヤ人になりきっていたヴォルフガングのことも、時代錯誤なネオナチ思想を抱くコンラートのことも、親達の理解を超えている。その後『ヴィルヘルム=グストロフ号』の知識をひけらかすサイトがどうなったかは分からないが、ネット上には「ユダヤ人」を殺した彼を称える新しいサイトができる。ウェブサイト『殉教者コンラート=ポクリーフケ』にはこれからどのような閲覧者が集まり、どのようなチャットが繰り広げられるのか。
「それは終わらない。決して終わらない。」この言葉をもってこの小説は終わっている。
Abonnieren
Posts (Atom)