Freitag, April 24, 2009

ヌルから始める予習のやり方:どこから始めていいか分からない場合のために

「単語は辞書で調べてきてください」と僕は言いました。しかし辞書を調べると、どーーーっと何十個も意味と文例が並んでいてどれをあてはめていいかさっぱり分からなかったり、単語の意味はわかってもどう訳せばいいかつながりが分からない、ということがあるかもしれません。そういった、文の意味がさっぱりわからないときにやみくもに辞書をひいてとりあえず適当な意味をメモする、という作業は本当に苦痛だし、つまらない上にあまり意味がありません。

実は、その文がどのような文脈の中に置かれているのか、書いた人や、小説であれば物語の背景、論文であれば元になっている思想などが分かっていれば、本当に全く見当がつかないということはそう多くはないはずです。しかし例えば今回僕たちが読んでいる小説だと、ドイツ現代史の知識というか、雰囲気に馴染みがない、またはそもそも小説をあまり読んだことがない人が触れた場合は、一言一言が未知の領域、ということもあり得ると思います。

ここでは、そういう目鼻もつかないような場合に、どうすればうっすらとでも意味がわかってくるにはどうすればいいか、大変おおざっぱではありますが、ある程度の指針を示せればと思って、手順表のようなものを書きたいと思います。


0.まずは何の話かアタリをつける
まったく意味が分からない、なんだか難しそうな長い文があったとします。

Der Plan des Lykurgus brachte es mit sich, daß die Anhänglichkeit an das Eigentum der Anhänglichkeit an das Vaterland durchaus nachstand, und daß die Gemüter, durch keine Privatsorge, nur dem Staate lebten.

教師から宿題としてこれを訳してくるように言われました。
全く意味がわかりません。orz。
しかしこれは完全に訳せなくてもいいので、単語を調べて、大体の意味を考えてくるという宿題です。

どこから手をつけたら良いでしょうか?分かる単語が一つくらいないものでしょうか?今僕が本当にほとんど単語を知らないものとして、薄っぺらいの文法の教科書を2、3日おさらいしたくらいとします。「従属接続詞」という文法用語とか(用語の名前は覚えていますがどういうものだったかは忘れています)「動詞は通常、文の二番目に来る」とかいった基礎的なことはかろうじて知っていますが、一年生の時に習った単語も語尾変化もほとんど忘れてしまいました。しかし辞書は、幸い手元に独和大辞典があります。どこから手をつけたら良いでしょうか?

辞書を引く前にもう一度文を読んでみると、まず見覚えのある単語が三つ見つかりました。「der Plan」計画、「das Vaterland」祖国、あと最後の行の「Staate」は多分「der Staat 国家」の格だとか語尾だとかがどうにかなったやつでしょう。

これでこの文について何がわかったでしょうか?「計画」「祖国」「国家」。たぶん赤ずきんちゃんの話や恋の散文詩ではなさそうだと予測できます。何か堅そうな、国家とか民族とかそんな政治経済の話に違いありません。

さて、話の内容を勝手に想像したところで、次は何をしたら良いでしょうか?ゲラゲラ作文というゲームがありますが、あれはつまり「誰が」「いつ」「どこで」「何をした」という文を作るものでした。この四つの要素のうち最も重要なのは「誰が」と「何をした」です。なぜならこの二つがなければ文の最小限の構成要素である主語と動詞がなくなってしまい、文が成り立たなくなるからです。一番重要な要素ですから、これを外さなければ最低限の内容は外さないはずです。そこでまず主語と動詞はなにか調べることにしました。

1.主語と動詞はなにか?
最も主語になる可能性が高いのは、1格の名詞です。
習った限りではドイツ語の語順で決められているのは、動詞の位置は文の二番目、ということだけでした。
主語が文の最初でなければならないという規則はありませんがそれでも文の一番初めに来る確率は高そうなので、まず最初の単語を疑います。Der Plan、男性1格の名詞です。しかも知っている単語です。ラッキーです。さっき見つけた「計画」です。これをまず主語だと考えておくのが普通でしょう。これでこの文は「計画が/計画は」で始まる文ではないかと考えることができるようになりました。

では動詞はなんでしょうか?文の二番目の要素はdes Lykurgusです。大文字で始まっているのでいずれにせよ名詞に違いありません。こういうところが分かりやすいのはドイツ語のすばらしいところです。しかし文の二番目なら動詞があるかと思ったらそううまくはいきませんでした。辞書にはなんと載っているでしょうか?Lykurgusという単語は載っていませんでしたがそれらしいのはありました。

Lykurg[lyk'urk][人名]リュクルゴス(Spartaの立法家)

Spartaってなんだっけ?よく分かりませんが、ただLykurgが人名だということはわかりました。そしてdes Lykurgusというふうに冠詞がdesで語尾にsがついているので男性二格だと考えることにします。(おかま、いや、中性である可能性は考えないことにします)二格の意味は所有で、「~の」と訳すのでした。つまり先ほどのder PlanはLykurgとかいう人のPlanだということが分かりました。主語は「Lykurgの計画」です。

そういえば「動詞は文の二番目の要素に来る」とは習ったけれど「二語め」と習った覚えはありません。そしていま文の一番目の要素(まとまり)としてDer Plan des Lykurgusという名詞句をまとめましたので、次に来るのが二番目の要素、すなわち動詞ということになるはずです。その単語はbrachteです。なんか変化してるらしいことは分かりますが意味も不定形も忘れてしまいました。とにかく独和大辞典をひきます。載っていました。

brachte:bringen の過去。

bringenってなんだったっけと思ってさらに引いてみるとざっと目につく意味だけで

もたらす、持ってくる、運んでくる、行って渡す、届ける、(。。。を。。。へ)運ぶ持っていく、届ける、移す、動かす、変える、びっくりさせる、奪う、殺す、引き起こす、持ち出す、やってのける

うんぬんかんぬん。今分かっているだけではとても日本語には訳せそうにありません。
ここではとりあえず次の単語esがbrachteの目的語になっていそうだという見当をつけて、「Lykurgの計画がesをbringenした」という節が最初にあった、と考えておくだけにして先に進みます。主語と動詞がわかったのでこれで十分です。

2.従属節とはなにか?
esの次にあるmit sichも多分esのおまけだと思うのであとまわしにすると(分からないところを抜かすのは大切な能力です)次に「, カンマ」とdaßが出てきます。僕はdaßが接続詞だということは覚えていました。そして大事なのはカンマと接続詞がでてきたのでここでひとつの節が終わって次の節が始まったということです。

(ここで今「節」という文法用語を使いましたが、だいたい「文」と同じ意味だと思ってください。つまり主語と動詞とその付属品1セットです。)

このカンマ以降全体を先に見ておくと、もう一か所カンマとdaßがありますので、節は二つあると決めてかかります。節が二つということは主語と動詞は二つずつあるということです。本当に二つずつあるでしょうか?一つ目のdaßの後ろにdie Anhänglichkeitという名詞がありました。~keitという語尾を持つ名詞は必ず女性名詞です。女性名詞の冠詞がdieだということは格は1格か4格のはずです。このあとカンマまでの三つの名詞に1格のものがなければ自動的にこれが1格で主語ということになりますが、他の名詞の格をチェックしてみましょう。
an das Eigentum :anのあとなので4格
der Anhänglichkeit:女性2格または3格
an das Vaterland:anのあとなので4格
ということで、この節の主語はdie Anhänglichkeitに決定しました。
これら三つの名詞のあとにはdurchaus nachstandとあります。durchausは辞書をひいたところ副詞で「徹底的に」という意味でした。動詞になれる単語はnachstand しか残らないので自動的にこれがこの節の動詞と決まります。ではそろそろこの節の意味を考えてみることにします。いま分かっているのは

daß + Anhänglichkeitがnachstandする(徹底的に)。+α

という構造です。とりあえずこの二つの単語の意味を調べます。

Anhänglichkeit:anhänglichなこと
anhänglich:(人に)愛着を感じている、(子供・犬などが)くっついている、離れない

ここから仮に、主語Anhänglichkeitの意味は「愛着を感じていること」と決めておきます。次に動詞の意味を辞書で調べます。・・・nachstandは辞書に載っていませんでした。おそらく変化形ですが、先ほどのbrachteのようにすべての動詞の変化形が見出し語として辞書に載っているわけではありません。先ほどのbrachteが過去形だったのでこのnachstandも過去形だろうという見当はついています。しかし過去形は語尾にt+人称変化がつくはずですがこれは違います。そこで不規則変化動詞だと考えます。不定形を忘れたので、辞書の巻末の不規則変化動詞一覧の直接法過去の列を見ているとstandが載っていて、stehenの過去形でした。そこでnachstandの不定形はnachstehenだと考えてその項目を探します。

nachstehen I [自] (h)1((jm))(・・・の)背後に立つ、(・・・の)陰にかくれている、目立たない:(Sie mußte ihrere hübschen Schwester immer ~. 彼女はいつも美しい姉(妹)の陰にかくれて目立たなかった。2 ((jm))(・・・に)劣る、ひけをとる、及ばない、(・・・の)後塵を拝する:Er steht dir an Intelligenz ncht nach. 彼は知能の点では君に劣らない| Du stehst ihm in nichts nach. 君はあらゆる点で彼に引けをとらない ▽3=nachstellen II

((jm))は何かと思って記号の意味を調べるために辞書巻頭の凡例を見ると8ページの図の真ん中より少し下ぐらいに

((jn))(・・・の衣服に)― 結合成分の意味:6-3-1

と載っているので6-3-1を見ると「格支配指示」と書いてあり、4-3-7も見るよう書いてあります。そこには「1格jd., 2格js., 3格jm., 4格jn.,で表した」とあり、目的語になる名詞の格が示されていたことが分かりました。つまりnachstehenの目的語には3格の名詞が入ることが分かりました。先ほど調べましたがこの節に3格の名詞でありうるのはder Anhänglichkeitだけです。そこで名詞と動詞と目的語が分かりました。

~に愛着を感じていること(Die Anhänglichkeit)は~に愛着を感じていること(der Anhänglichkeit)の背後に立った/に劣った(nachstand)

これにan das Eigentumとan das Vaterlandの意味を加えればこの節は日本語にできそうです。anの基本の意味は「~に接して」「~に付いて」でした。die Anhänglichkeit an das Eigentum は「Eigentumに接して愛情を感じていること」、Eigentumの意味を辞書で調べると「所有物・財産」とありますので、これは「所有物に接して愛情を感じていること」となりそうです。同様に「der Anhänglichkeit an das Vaterland」は「祖国に対して愛着を感じていること」としておきます。するとこのdaß節

daß die Anhänglichkeit an das Eigentum der Anhänglichkeit an das Vaterland durchaus nachstand,

の意味は

daß「所有物に対して愛着を感じていること」は「祖国に対して愛着を感じていること」「の背後に立った/に劣った」「徹底的に」

となります。主語が「愛情を感じていること」という抽象的なことなので動詞の訳は、「背後に立つ」より「劣る」ほうがよさそうです。「durchaus 徹底的に」は直後の動詞nachstandを修飾すると考えておきます。そして従属接続詞daßの意味を辞書で一番目に載っている「~ということ」とすると

所有物に対して愛着を感じていることが祖国に対して愛着を感じていることに徹底的に劣っていたということ

がこの節の意味になります。もっとはっきり言うと「物は祖国より全然大事じゃなかったこと」つまり祖国>所有物。

「祖国が所有物より大事」が一つ目のdaß節の意味だとわかったところで、二つ目のdaßの意味を考えてみましょう。例によって主語はなにかから考え始めます。
名詞は die Gemüter, Privatsorge, dem Staateの三つですが、Privatsorgeはdurchのあとなので4格、dem Staateは3格です。主語がGemüterなのは消去法で確定ですが、die Gemüterは単独で辞書の見出し語に載っていません。そこで定冠詞dieのもう一つの可能性、複数1格について考えてみましょう。Gemüterが複数形だとしてなんという名詞の複数形でしょうか。とりあえず語尾は気にせずアルファベート順に調べていくとGemütという単語が載っていて、

Gemüt [中] [e]s/-er 1(単数で)心情・情緒 (中略)
2(ふつう複数で)(心情の持ち主としての)人間、人々

とありました。これによって、中性名詞Gemütの2格がdes Gemüts(またはdes Gemütes)、複数形がdie Gemüterであることと、複数形の場合「人々」という意味になることが分かりました。この節の主語は「人々」です。

次に動詞ですが、動詞は一つしかありませんのでlebtenです。これは語尾から規則変化動詞lebenの過去形と分かります。主語が複数なので語尾がtenとなっているわけです。

次に、この節の中にはカンマが二つあってdurch keine Privatsorgeがはさまっていますが、これは独立しているっぽいのであとでつけたすことにして、先にlebtenの前のnur dem Staateを訳します。nurの基本の意味は「ただ」でした。Staatの3格dem Staateの意味は何でしょうか?(ここではとりあえず語尾についているeは無視することにします。複数形か?と思いましたが冠詞からして複数はありえないし、辞書を見ると複数形はStaatenとなっていたのでここはわからないけどとりあえずただの単数3格として考えておきます)動詞lebenは自動詞なので、目的語を必要としない、または3格か前置詞付きの名詞(名詞句)を目的語とします。この場合はどうでしょう?lebenを辞書で調べるといろいろ載っていますが、いま見たいのはlebenの目的語にどのような語がくるかです。ざっと読んでいくと、隅付き括弧(白)〖 〗の中に「3格と」と書いてある部分があって、「nur seinem Beruf leben 職業にのみ生きる」という例句がありました。これは今読んでいるnur dem Staate lebtenとまったく同じ形です。これを先ほどの主語に加えてそのままあてはめてみると「人々が国家にのみ生きる」という意味になりそうです。この3格には先週やった利害の3格の意味が入っていそうですから、これをもっとはっきり言うと「人々がただ国家のためにのみ生きる」という訳になるでしょう。さらに先ほど抜かしたdurch keine Privatsorgeの訳を加えましょう。Privatsorgeという単語は辞書に載っていませんでしたが、Privat○○という単語がたくさんありますので、この単語はPrivatなSorgeという意味だと推測できます。英語から類推すると大外れすることがあって怖いのですが、他のPrivat○○という単語を見ても、この場合かなりはっきりと「プライベートな」という意味だろうと思われます。ではSorgeはなんでしょうか?「心配事、懸念、不安、気がかり」とあります。Privatsorgeは「個人的な心配事」という意味に違いありません。durch keineのkeineは否定冠詞ですから、durch Privatsorgeの反対の意味に訳します。durchの意味は「~を通じて」ですから「個人的な心配事を通じて」の反対で「個人的な心配事を通じることなく」がこの句の意味です。ではこれを先ほどのStaateの部分と適当にくっつけてみましょう。この節は、

人々が個人的な心配事を通じることなく、ただ国家のためにのみ生きること

という訳でどうでしょうか。


節と節の結びつきを考える
これで三つの節全てに暫定的な訳らしきものができあがりましたので並べてみましょう。

Lykurgの計画がesをbringenした。
所有物に対して愛着を感じていることが祖国に対して愛着を感じていることに徹底的に劣っていたということ
人々は個人的な心配事を通じることなく、ただ国家のためにのみ生きること

実を言えば、冒頭に示したような状態の人がここまで節ごとに訳すことができていたらものすごく頑張った部類に入ると思うのですが、もう少しがんばってみましょう。今ほおってある問題は主に二つ、最初の節のbachte es mit sichの意味と、最初の節と二つのdaß節とのつながりです。じっくり全体を眺めていると、主節+daß節+daß節という全体構造のうち、二つ目のdaßはただのdaßではなく、und daß となっているのが目に入りました。この並列接続詞undは二個目のdaß節を一個目のdaß節と同等の資格で結びつけていると考えると、全体とも何かつながりが作れるかもしれません。文法規則は知りませんが、「daß~, und daß~」という反復構造を見つけました。

最初の節の動詞brachteの意味を決めましょう。さっきのようなlebenのようにうまくそのまま当てはまる例句はないかと思ってまたbringenの項を延々と読んでみます。すると項目の3列目くらいにやっと「et4+mit sich3~ 必然的に・・・を伴う、…がつきものである」という句が載っていて、「Die Jahre bringen es mit sich, daß... 年をとるとどうしても~ということになる」という例句が載っていました。et4は名詞の4格を表していますが、es は中性4格の代名詞として扱えるので、最初の節の訳は「Lykurgの計画は必然的にesを伴った」という訳に進化させておきましょう。

ではこのesはどういう意味でしょうか?「それ」と訳してもなんの解決にもなりません。また辞書に関係ありそうな項目はないか見てみます。

Freitag, April 10, 2009

授業関連雑想

評価方針:多様性・一貫性を保つ、グループ・個人のバランス、出席、
前期の予定:

学習日誌

いちばん最初の回;
方針説明
予定説明
ツール紹介


後期:企画を立てさせる?
「正直言って、全員のオリジナルの一文一文は見られない」


たとえば、卒論を書くとして、引用ひとつとっても、孫引きとオリジナル引用じゃ説得力がちがうわけです!

あと、来年は制度的にドイツ語のクラス引き継がれないから、ある意味気楽なわけ。やりたいことやろうよ、みたいな。


日本人同士、ドイツ語しばりでしゃべる、って結構楽しい。

合宿の紹介。


*******************************
これから2学期やることについて。
自己紹介)
試験・成績・出席・日程について、共同担当について
このコースの狙い:
そつなく訳せるようにすること。(読解力=訳せることとする)
テキスト:なぜこれを選んだか。リンザーについて。
辞書。発音。発音記号。アクセント、アハ音イヒ音、ウムラウト
wとb,
rとl
伸ばす音詰まる音 シュプラーヘ?シュプラッヘ?
Rhythmus der Saetze

関口先生の本

語彙をどう増やすか
連想で。なんていうんだろう?を重ねていく。


イメージ検索
フレーズ検索

ムードル
学習方法・ブリーフィング
方針を立てる。

分からないとき?>仮説を立てる。こうだからこう、と主張する。

音読を聞いて、どれくらいできるか見れる。


突然読ませる法
カフカ;変身
ホフマン;スキューデリ夫人
グラス;ブリキの太鼓
ゲーテ;
マン:魔の山
クライスト:チリの地震

IPA発音記号フォントをダウンロードできるサイト

http://www.phon.ucl.ac.uk/home/wells/fonts.htm

Deutsche Literatur

E. T. A. Hoffmann
Das Fräulein von Scuderi
Eine Erzählung aus dem Zeitalter Ludwigs XIV.

In der Straße St. Honoré war das kleine Haus gelegen, welches Magdaleine von Scuderi, bekannt durch ihre anmutigen Verse, durch die Gunst Ludwigs XIV. und der Maintenon, bewohnte.
Spät um Mitternacht – im Herbste des Jahres 1680 – wurde an dieses Haus hart und heftig angeschlagen, daß es im ganzen Flur laut widerhallte. – Baptiste, der in des Fräuleins kleinem Haushalt Koch, Bedienten und Türsteher zugleich vorstellte, war mit Erlaubnis seiner Herrschaft über Land gegangen zur Hochzeit seiner Schwester, und so kam es, daß die Martiniere, des Fräuleins Kammerfrau, allein im Hause noch wachte. Sie hörte die wiederholten Schläge, es fiel ihr ein, daß Baptiste fortgegangen und sie mit dem Fräulein ohne weitern Schutz im Hause geblieben sei; aller Frevel von Einbruch, Diebstahl und Mord wie er jemals in Paris verübt worden, kam ihr in den Sinn, es wurde ihr gewiß, daß irgend ein Haufen Meuterer, von der Einsamkeit des Hauses unterrichtet, da draußen tobe, und eingelassen ein böses Vorhaben gegen die Herrschaft ausführen wolle, und so blieb sie in ihrem Zimmer zitternd und zagend und den Baptiste verwünschend samt seiner Schwester Hochzeit. Unterdessen donnerten die Schläge immer fort, und es war ihr, als rufe eine Stimme dazwischen: So macht doch nur auf um Christus willen, so macht doch nur auf!


Franz Kafka
Die Verwandlung

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt. Er lag auf seinem panzerartig harten Rücken und sah, wenn er den Kopf ein wenig hob, seinen gewölbten, braunen, von bogenförmigen Versteifungen geteilten Bauch, auf dessen Höhe sich die Bettdecke, zum gänzlichen Niedergleiten bereit, kaum noch erhalten konnte. Seine vielen, im Vergleich zu seinem sonstigen Umfang kläglich dünnen Beine flimmerten ihm hilflos vor den Augen.
»Was ist mit mir geschehen?«, dachte er. Es war kein Traum. Sein Zimmer, ein richtiges, nur etwas zu kleines Menschenzimmer, lag ruhig zwischen den vier wohlbekannten Wänden. Über dem Tisch, auf dem eine auseinandergepackte Musterkollektion von Tuchwaren ausgebreitet war - Samsa war Reisender - hing das Bild, das er vor kurzem aus einer illustrierten Zeitschrift ausgeschnitten und in einem hübschen, vergoldeten Rahmen untergebracht hatte. Es stellte eine Dame dar, die mit einem Pelzhut und einer Pelzboa versehen, aufrecht dasaß und einen schweren Pelzmuff, in dem ihr ganzer Unterarm verschwunden war, dem Beschauer entgegenhob.



Heinrich von Kleist
Das Erdbeben in Chili

In St. Jago, der Hauptstadt des Königreichs Chili, stand gerade in dem Augenblicke der großen Erderschütterung vom Jahre 1647, bei welcher viele tausend Menschen ihren Untergang fanden, ein junger, auf ein Verbrechen angeklagter Spanier, namens Jeronimo Rugera, an einem Pfeiler des Gefängnisses, in welches man ihn eingesperrt hatte, und wollte sich erhenken. Don Henrico Asteron, einer der reichsten Edelleute der Stadt, hatte ihn ungefähr ein Jahr zuvor aus seinem Hause, wo er als Lehrer angestellt war, entfernt, weil er sich mit Donna Josephe, seiner einzigen Tochter, in einem zärtlichen Einverständnis befunden hatte. Eine geheime Bestellung, die dem alten Don, nachdem er die Tochter nachdrücklich gewarnt hatte, durch die hämische Aufmerksamkeit seines stolzen Sohnes verraten worden war, entrüstete ihn dergestalt, daß er sie in dem Karmeliterkloster unsrer lieben Frauen vom Berge daselbst unterbrachte.
Durch einen glücklichen Zufall hatte Jeronimo hier die Verbindung von neuem anzuknüpfen gewußt, und in einer verschwiegenen Nacht den Klostergarten zum Schauplatze seines vollen Glückes gemacht. Es war am Fronleichnamsfeste, und die feierliche Prozession der Nonnen, welchen die Novizen folgten, nahm eben ihren Anfang, als die unglückliche Josephe, bei dem Anklange der Glocken, in Mutterwehen auf den Stufen der Kathedrale niedersank.



Günter Grass, Die Blechtrommel

Der weite Rock
Zugegeben: ich bin Insasse einer Heil- und Pflegeanstalt, mein Pfleger beobachtet mich, läßt mich kaum aus dem Auge; denn in der Tür ist ein Guckloch, und meines Pflegers Auge ist von jenem Braun, welches mich, den Blauäugigen, nicht durchschauen kann.
Mein Pfleger kann also gar nicht mein Feind sein. Liebgewonnen habe ich ihn, erzähle dem Gucker hinter der Tür, sobald er mein Zimmer betritt, Begebenheiten aus meinem Leben, damit er mich trotz des ihn hindernden Guckloches kennenlernt. Der Gute scheint meine Erzählungen zu schätzen, denn sobald ich ihm etwas vorgelogen habe, zeigt er mir, um sich erkenntlich zu geben, sein neuestes Knotengebilde. Ob er ein Künstler ist, bleibe dahingestellt. Eine Ausstellung seiner Kreationen würde jedoch von der Presse gut aufgenommen werden, auch einige Käufer herbeilocken. Er knotet ordinäre Bindfäden, die er nach den Besuchsstunden in den Zimmern seiner Patienten sammelt und entwirrt, zu vielschichtig verknorpelten Gespenstern, taucht diese dann in Gips, läßt sie erstarren und spießt sie mit Stricknadeln, die auf Holzsöckelchen befestigt sind.


Josef Freiherr von Eichendorff
Aus dem Leben eines Taugenichts
Erzählung (1826)

Erstes Kapitel
Das Rad an meines Vaters Mühle brauste und rauschte schon wieder recht lustig, der Schnee tröpfelte emsig vom Dache, die Sperlinge zwitscherten und tummelten sich dazwischen; ich saß auf der Türschwelle und wischte mir den Schlaf aus den Augen; mir war so recht wohl in dem warmen Sonnenscheine. Da trat der Vater aus dem Hause; er hatte schon seit Tagesanbruch in der Mühle rumort und die Schlafmütze schief auf dem Kopfe, der sagte zu mir: «Du Taugenichts! da sonnst du dich schon wieder und dehnst und reckst dir die Knochen müde und läßt mich alle Arbeit allein tun. Ich kann dich hier nicht länger füttern. Der Frühling ist vor der Tür, geh auch einmal hinaus in die Welt und erwirb dir selber dein Brot.» - «Nun», sagte ich, «wenn ich ein Taugenichts bin, so ists gut, so will ich in die Welt gehen und mein Glück machen.» Und eigentlich war mir das recht lieb, denn es war mir kurz vorher selber eingefallen, auf Reisen zu gehen, da ich die Goldammer, welche im Herbst und Winter immer betrübt an unserm Fenster sang: «Bauer, miet mich, Bauer, miet mich!» nun in der schönen Frühlingszeit wieder ganz stolz und lustig vom Baume rufen hörte: «Bauer, behalt deinen Dienst!»


Johann Wolfgang von Goethe
Die Leiden des jungen Werthers

Wie froh bin ich, daß ich weg bin! Bester Freund, was ist das Herz des Menschen! Dich zu verlassen, den ich so liebe, von dem ich unzertrennlich war, und froh zu sein! Ich weiß, du verzeihst mir's. Waren nicht meine übrigen Verbindungen recht ausgesucht vom Schicksal, um ein Herz wie das meine zu ängstigen? Die arme Leonore! Und doch war ich unschuldig. Konnt' ich dafür, daß, während die eigensinnigen Reize ihrer Schwester mir eine angenehme Unterhaltung verschafften, daß eine Leidenschaft in dem armen Herzen sich bildete? Und doch – bin ich ganz unschuldig? Hab' ich nicht ihre Empfindungen genährt? Hab' ich mich nicht an den ganz wahren Ausdrücken der Natur, die uns so oft zu lachen machten, so wenig lächerlich sie waren, selbst ergetzt? Hab' ich nicht – o was ist der Mensch, daß er über sich klagen darf! Ich will, lieber Freund, ich verspreche dir's, ich will mich bessern, will nicht mehr ein bißchen Übel, das uns das Schicksal vorlegt, wiederkäuen, wie ich's immer getan habe; ich will das Gegenwärtige genießen, und das Vergangene soll mir vergangen sein. Gewiß, du hast recht, Bester, der Schmerzen wären minder unter den Menschen, wenn sie nicht – Gott weiß, warum sie so gemacht sind! – mit so viel Emsigkeit der Einbildungskraft sich beschäftigten, die Erinnerungen des vergangenen Übels zurückzurufen, eher als eine gleichgültige Gegenwart zu ertragen.