三十才になったら、財布に35円しかないということがあってはならない
三十才になったら、夜中3時にかかってくる電話の相手をしてはならない
三十才になったら、ベッキー・クルーエルが可愛くても萌え萌え言ってはならない
三十才になったら、バカだのうんこだのとあまり大声で言ってはならない
三十才になったら、喫茶店のお手拭きで顔を拭かなくてはならない
三十才になったら、時には後輩の為になることをせねばならない
三十才になったら、見苦しくない禿げ方を考えておかなくてはならない
(付則:また、そうなった場合は男らしく、隠してはならない)
三十才になったら、肥満に気をつけ、肉はあまり食べてはならない
三十才になったら、主語と動詞と目的語が明確な文で話さねばならない
三十才になったら、厨二病は治して妄想は控えめにせねばならない
三十才になったら、毎回毎回コメントに草を生やしてはならないwww
三十才になったら、博士論文に完成への見通しをつけなくてはならない
なぜなら三十回目の誕生日はすべての誕生日の中でもっともはっきりした誕生日ではあるまいか?三を自らのうちに含み、六十を予感させ、そして、六十を余計なものにする。今朝ぼくの誕生日のケーキの周囲に三十のロウソクが燃えとき、ぼくは喜びと感激のあまり泣きたいほどだった。でも、マリーアに見られると恥ずかしいので我慢した。三十歳になったらもう泣いてはいけないのだ。
もしもイエスがせむしだったら彼を十字架に釘づけにすることはむずかしかったろう。ところで、ぼくはいま数えて三十歳になったというだけの理由で、ほんとうに、世の中へ出ていって弟子たちを周囲に集めねばならないのか?
しかし、よく考えてみなければならないことがある。いったいオスカルは、この気違い病院から強制的に追い出されてしまったら、そのあとなにをしようというつもりなのか?結婚か?独身をとおすか?海外旅行か?モデル業か?石切り場を買うことか?弟子を集めるのか?宗派を立てるのか?今日、三十歳の男に与えられている可能性をすべて検査してみなければいけない。