Dienstag, Juli 26, 2011

引用

2007年6月4日月曜日
引用その2
そのときにまた、われわれが亡びない世界において、何にビクビクして暮してきたかが、はっきりわかってくるにちがいない。世界がおわらないならば、われわれは他人を恐れて暮さねばならぬということが。そして、世界がおわらずに、自分だけが死ぬとなれば、われわれは他人を怨んで死なねばならぬということが。生きているすべての他人、物を食うすべての他人、笑い、歩き、動いている他人のすべてを。


荷風も、一時は無二の親友のように日記に書いている人間を、一年後には蛇蝎の如く描いているが、それはあながち、荷風の人間観の浅薄さの証拠ではなく、人間存在というものが、固定された一個体というよりも、お互いに一瞬一瞬触れ合って光放つ、流動体に他ならぬからであろう。

(…)ドウモ予ニハソウ思エナイ。肉体ガナクナレバ意思モナクナル道理ダケレドモ、ソウトハ限ルマイ。
(…)泣キナガラ予ハ「痛イ、痛イ」ト叫ビ、「痛イケレド楽シイ、コノ上ナク楽シイ、生キテイタ時ヨリ遥カニ楽シイ」ト叫ビ、「モット踏ンデクレ、モット踏ンデクレ」ト叫ブ。
――――谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』

 それから、まち子は眼を伏せてこんなことを囁(ささや)いた。
「あの花の名を知っている? 指をふれればぱちんとわれて、きたない汁をはじきだし、みるみる指を腐らせる、あの花の名が判ったらねえ」
 僕はせせら笑い、ズボンのポケットへ両手をつっ込んでから答えた。
「こんな樹の名を知っている? その葉は散るまで青いのだ。葉の裏だけがじりじり枯れて虫に食われているのだが、それをこっそりかくして置いて、散るまで青いふりをする。あの樹の名さえ判ったらねえ」
(太宰治 『葉』)

その瞬間から世界は一変した。次の一時間、次の一日をどうして待つことに耐えようか、と本多は思った。そして心の中で一つの小さな賭をした。
(暁の寺 S229)

本多の胸は、つまづいたように早い動悸を打った。これだ、この動悸が大切!この動悸のおかげで、人生は固体であることをやめ、液体になり、気体にさえなるのだが、そんなことが起っただけで、本多にはもう得だった。角砂糖はこの動悸の瞬間に紅茶に融け入り、すべての建築はあやしげなものになり、すべての橋梁は飴状になり、人生が稲妻や雛罌粟のそよぎやカーテンのおののきと同義語になるのだ。・・・・・きわめて利己的な満足と、宿酔のような不快な羞恥とが相交錯して、本多を一気に夢心地に陥れた。
(302)

出鱈目な調子をつけて繰り返し繰り返し歌っていたのだ。あ、これが私の創作だ。私の創った唯一の詩だ。なんというだらしなさ! 頭がわるいから駄目なんだ。だらしがないから駄目なんだ。
『ダス・ゲマイネ』

「(…)それにしてもジン・ジャンもずいぶん失礼な仕打をしたものね。そういうところが南方風なのかしら。でもそういうやり方に、あなたが参ってらっしゃることもよくわかってよ」(暁の寺 S317)

私はケルト人の信仰をいかにももっともだと思う、それによると、われわれが亡くした人々の魂は、何か下等物、獣とか植物とか無生物とかのなかに囚われていて、われわれがその木のそばを通りかかったり、そうした魂がとじこめられている物を手に入れたりする日、けっして多くの人々には到来することのないそのような日にめぐりあうまでは、われわれにとってはなるほど失われたものである。ところがそんな日がくると、亡くなった人々の魂はふるえ、われわれを呼ぶ、そしてわれわれがその声をききわけると、たちまち呪縛は解かれる。われわれによって解放された魂は、死にうちかったのであって、ふたたび帰ってきてわれわれとともに生きるのである。――『失われた時を求めて』 :コンブレー S41

ここは ルイーダのみせ。たびびとたちが なかまをもとめて あつまる であいと わかれの さかばよ。なにを おのぞみかしら?

アンリエットはまるで、ガンジス河のほとりの茂みのなかで東洋の詩をさえずりつづけ、一年中花を絶やすことのないヴォルカメリヤの花弁を縫って生きた宝石と見まごうばかりに枝から枝へと飛びかう、楽しそうな小鳥さながらでした。
(『谷間のゆり』)

荒地の景色に倦き、道に疲れていた私は、この眺めに接し、なおのこと甘美な驚きに打たれました。――あの人が、女性の花たるあの人が、もしこの世のどこかに住んでいるなら、この地をおいてほかにない、私はそう考えながら、一本のくるみの木に身をよせました。
――『谷間の百合』

「それが酔拳だってのか?」
「寺で仏が異なれば師匠と弟子で技も異なる。
師匠と弟子次第で拳法は変わる。
これぞカンフーの真髄!」
(酔拳)

折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗に消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。
―――『坊つちやん』

あ――ア。外道祭文キチガイ地獄。さても地獄をどこぞと問えば。娑婆というのがここいらあたりじゃ。ここで作った吾が身の因果が。やがて迎えに来るクル、クルリと。眼玉まわして乗る火の車じゃ。めぐり廻って落ち行く先だよ。修羅や畜生、餓鬼道越えて。
――『ドグラ・マグラ』

学問ハ平生ノコトトハ各別ノ事ト立テ置キテ、今ノ世ニ立ベキト思コトモ又用ニ立マジキト思フコトヲモ、疑ハシキ事ヲモ又マコトシヤカナルコトヲモ、択ビナク我腹中ニトリ入レテ積タクワヘヲクベキナリ。年久シク熟スレバ後ニハ、用ニ立マジキト思ヒシコトモ疑ハシキト思ヒシ事モ、皆一ツニナリテ吾心アワヒ昔トカワリ行キ、智恵ノ働キオノヅカラニ聖人ノ道ニ叶フナリ。

学問は日常の情報とは別ものだとこころえて、今の世の中で役に立ちそうなことも役に立たなそうなことも、よくわからないことも本当らしく思われることも、区別せずに自分の中に取り入れて蓄積すべきだ。年月が経って成長した後には役に立たたなそうに思われたこともよくわからなかったことも内統合されて、自分の理解も昔と違ったものになり、思考法も古代の賢人のやり方に沿ったものになる。
―――荻生徂徠『太平策』

石川啄木の歌のいくつかには、さまざまなことに腹を立てた、多感な青年の正直な思いが綴られています。

あらそひて いたく憎みて別れたる 友をなつかしく思ふ日も来ぬ

敵として 憎みし友とやや長く 手をば握りき わかれといふに

目の前の 菓子皿などをかりかりと 噛みてみたくなりぬ もどかしきかな

どんよりと  くもれる空を見てゐしに 人を殺したくなりにけるかな


ロパーヒン ま、いいさ、大学の教授連はだれも講義をしないできみのご到着を待っていてくださるよ。
トロフィーモフ あんたの知ったことじゃない。
ロパーヒン きみは何年大学にいたんだっけ?
トロフィーモフ もっと新しい手は思いつかないんですか?その手は古いんだ ― 古いし、パンチがない。
(『桜の園』第四幕)


聖賢に成らんと欲するの志無く、古人の事跡を見、とても企て及ばぬと云ふ様なる心ならば、戦に臨みて逃るより猶ほ卑怯なり。

「過ちを改むるに、自ら過ったとさへ思いつかば、それにて善し、その事をば棄て顧みず、直ぐに一歩踏み出すべし。」

「道を行なう者は、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否、身の死生などに、少しも関係せぬものなり。事には上手下手あり、物にはできる人できざる人あるより、自然、心を動かす人も有れども、人は道を行なうものゆえ、道を踏むには上手下手もなく、できざる人もなし。」 

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり。されども、かようの人は、凡俗の眼には見得られぬぞ・・・」

「道を行なう者は、天下挙って毀るも足らざるとせず、天下挙って誉めるも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故なり。」
西郷南州遺訓
投稿者 Kaisei 時刻: 3:48 0 コメント
引用6月3日
ただ、優しくて、理の即ちに聞こゆるやうならんずる詩歌の言葉を採るべし。優しき言葉を振りに合わすれば、不思議に、おのづから、人體も幽玄の風情になるものなり。
――――『風姿花伝』

子、子夏ニ謂ヒテ曰ク、汝、君子ノ儒ト為レ。小人ノ儒ト為ル毋カレ。

(孔丘は子夏にこう言った。「君は士太夫らしい悠々とした学者になれ。こせこせした似非学者になるな」)
――――第六雍也篇


あらそひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ

ドクター (ひどく気にさわって)その点でもあなたを幻滅させなければならないね。あなたの信仰もそうだが、わたしが自分を悲惨と感じているだろう、というあなたの期待も、絶望的な自己欺瞞なのだ。たしかに、わたしはいつも無聊に悩まされている。だからこうして論争をしてさわやかな気分になろうというのだし、だからあなたを生かしておくのだ。しかし悲惨と言えるだろか?そんなことはない。目下わたしはホモ・サピエンスの研究にふけっている。
――――ホーホフート『神の代理人』

リカルド (さりげなく)たしかに結構な慰めにはちがいない。――ただあまり長持ちはしない・・・・・


いつとはなしにこの幻を現ずる法を会得してから、本多は富士は二つあるのだと信ずるようになった。夏富士のかたわらには、いつも冬の富士が。現象のかたわらには、いつも純白の本質が。
――――暁の寺 S323

せっせと短篇小説を書き散らしながら、私は本当のところ、生きていても仕様がない気がしていた。ひどい無力感が私をとらえていた。深い憂鬱と、すばらしい高揚感とが、不安定に交代し、一日のうちに、世界で一等幸福な人間になったり、一等不幸な人間になったりした。

一九五〇年(昭和二十五年)、二十五歳の私は、あいかわらず、幸福感の山頂と憂鬱の深い谷間との間を、せっせと往復していた。これから一九五一年の暮れに外国旅行へ出発するまで、私の生活感情は、一等はげしいデコボコを持っていたように思われる。そしていつも孤独におびやかされていた。私は世間の平凡な幸福を嫉み、自分のことを、「へんなニヤニヤした二十五歳の老人だ」と思っていた。
――――三島由紀夫『私の遍歴時代』

また、あるとき、「唯円房は、わがいふことをば信ずるか」と、おほせのさふらひしあひだ、「さんさふらふ」とまうしさふらひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねておほせのさふらひしあひだ、つつしんで領状まうしてさふらひしかば、「たとへば、ひとを千人ころしてんや。しからば往生は一定すべし」と、おほせさふらひしとき、「おほせにてはさふらへども、一人も、この身の器量にては、ころしつべしともおぼえずさふらふ」と、まうしてさふらひしかば、「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとは、いふぞ」と。「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。

わがこころのよくてころさぬにはあらず。また、害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし」と、おほせのさふらひしは、われらが、こころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることを、おほせのさふらひしなり。

「自分の心が善くて殺人を犯さないのではありません。そして殺すまいと思っても100人1000人を殺すこともあるはずです」と上人様がおっしゃったのは、私たちが心がけの正しいことを善だと思い、心がけの悪いのを悪だと思いこんで、阿弥陀仏にすがる気持ちの神秘によって救われることを理解していないのだと説かれたものである。


「唯円房よ、あなたは私の言うことを信じますか?」
「はい」
「私の言ったとおりにしますか?」
「はい」
「では、ためしに人を千人殺してきなさい。そうすれば極楽往生は間違いない」
「お言葉ですが、私ごときでは千人どころか一人だって殺せそうもありません」
「ではなぜ言うとおりにすると言ったのか。ここから思い知るべきは、思ったことが何でもできるなら往生のために人を千人殺せと言われて殺すことができるはずなのに一人も殺すことができないのは、そういう縁がないからできないだけだということです。自分が善人だからやらないのではない。それに殺すまいと思っていながら百人千人を殺すこともあるはずです」

これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また、害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし

――――歎異抄 第十三条 (本願ぼこりと言へること)

そして当時の私は部屋の中でひとり言を言い、気に入らない本の作者が自分の前にいるかのように罵ったり、好きな作家に機嫌よく感想を述べたりしているという、かなり気持ち悪い学生だったのである。
――――笙野頼子『ひとり言お断り』

親鸞が唯円房に問うた。
「唯円房よ、あなたは私の言うことを信じますか?」
「はい」
「では、とりあえず人を千人殺してきなさい。そうすれば極楽往生は間違いない」
「お言葉ですが、私ごときでは千人どころか一人だって殺せそうもありません」
「ではなぜ言うとおりにすると言ったのか。」

薬あればとて毒を好むべからず
――――歎異抄 第十三条(本願ぼこりと言へること)


何を企画しているかですって?すンばらしいことを企画しているのです、すごーくすンばらしいこと、全くすごくすンばらしいのですよ、それでわたくし共は、皆さん、わたくし共は全くすンばらしいのです、企画しているのですからね。何を企画しているかですって、皆さん、それでわたくし共は、それでわたくし共は、それでわたくし共は、皆さん!

ほら旦那、あなたは虚栄心がお強いですか?ならばお入り下さいよ!それでわたくし共はですね、皆さん、まあひとつ運試しをしてごらんなさい、さあお入りになって、お入りになって、人間てものは必ずしも豚じゃありません、人間は天使でもあり得るのです、歓喜に溢れた天使でもあり得るのです。それでわたくし共は、それでわたくし共は、それでわたくし共はですね、皆さん・・・・・
――――エリアス・カネッティ『虚栄の喜劇』
投稿者 Kaisei 時刻: 3:44 0 コメント
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