その若い頃のある時期に、あとで思いだしても不愉快な、できることならそんな思い出を記憶から消し去ってしまいたいと思う言葉を口にしたり、あるいはそんな生活を送ったりしなかった人は、一人もいませんね。だがそれは絶対に後悔すべきものではないのです。なぜなら賢人になったといっても、そうおいそれとはなれなかったので、まず自分があらゆる笑うべきもの、いとうべきものに化肉するという筋道をふんでからでなくては、そんな最後の化肉はとげられなかったからです。
彼らはおそらく、生活をふりかえって、そこから切り捨てなくてはならないものは何も無いでしょう。彼らは自分が発言したことをなんでも公表し、それに太鼓判をおすことができるでしょう。しかし、そのじつは、彼らは精神の貧しい人たちです。つまり理屈屋の無力な子孫であり、その賢明さは消極的で不毛です。
----『失われた時を求めて』 3-295
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