Freitag, November 09, 2012

怒りの葡萄




    母親 「あたしはお金を貯めてたんだよ。手をお出し、トム、ここに七ドルあるだ」  トム 「おっ母の金はもらわねえだよ」 母親 「手を出しなったら、トム。おまえが一文なしでいたんじゃ、あたしは夜も眠れないよ。おま えだってバスに乗ったり何かしなくちゃならないんだよ。あたしは、うんと遠くへ行ってもらいたい んだよ、三百マイルも四百マイルも遠くへね」 トム 「金をもらうわけにゃいかねえだな」 母親 「トム、おまえ、このお金を、とらなくちゃいけないよ。わかるかい。おまえは、あたしを苦 しめる権利はねえだよ」 トム 「なあ、おっ母、おれは日がな一日、夜だって、ひとりぼっちでかくれてるんだ。それでいったい、誰のことを考えてると思うだ。ケーシーのことだて!あの男は、おれに、いろんな話をしてくれただ。うんざりするほどな。でも、いまになってみりゃ、おれは、やつの言ったことばかり考えるだ。おれは、やつの話をおぼえてるだよ・・すっかりな。あるとき、やつは自分の霊を見つけるために荒野へ出かけたんだそうだ。そして、自分だけの霊なんてものはないということに気がついたんだそうだ。ただ自分は偉大な霊の一部分をもっているだけだってことがわかったんだそうだ。荒野なんてものは、何の役にもたたねえ。なぜって、やつのもってる霊の一かけら一かけらは、残りの一かけら一かけらといっしょになり、全体のものとなるんでなけりゃ役にたたねえからというわけだて。おれが、こんな話をおぼえているなんておかしな話さ。自分じゃ、きいてたつもりもなかっただでな。でも、おれは、いま気がついただよ、人間、一人ぼっちでは、何の役にもたたねえってことをな」 母親 「あの人は、いい人だった」 トム 「やつは、いつか聖書の文句か何かをしゃべりまくっていたっけ。地獄の責め苦のような聖書の文句じゃなかった。二度話してくれたで、おれはおぼえてるだ。『伝道の書』に出てる文句だって言ってたよ」 母親 「どんな文句だい、トム」 トム 「こうなんだ、、、    『二人は一人に愈る(まさる)、それはその労苦(ほねおり)のために善報(よきむくい)を得ればなり。即ち、その跌倒る(たおるる)時には一箇(ひとり)の人その伴侶(とも)を扶け(たすけ)起すべし。然ど(されど)孤身(ひとり)にして跌倒る(たおるる)者は憐れ(あわれ)なるかな。これを扶け起す者なきなり」』 これはその一部分だよ」 母親 「きかしておくれ、先をつづけておくれよ、トム」 トム 「じゃ、もうすこしな。又二人ともに寝れば(いぬれば)温暖(あたたか)なり。一人ならば争で(いかで)温暖(あたたか)ならんや。人もしその一人を攻撃ば(せめうたば)二人してこれに当るべし。三根(みこ)の縄は容易く(たやすく)断ざるなり(きれざるなり)』(旧約聖書伝道の書、第四章九-十二節)」 母親 「これから先、おまえの消息は、どうすりゃ知れるだかね。おまえが殺されても、あたしの耳には届かねえだろうしね。おまえはけがさせられるかもしれない。どうすりゃ便りがきけるだろうね」 トム 「そうだな、ケーシーが言ったように、人間、自分だけの霊なんてものはもっちゃいねえだ。ただ大きな霊の一部分をもっているだけなのかもしれねえ・・そうとすりゃ・・」 母親 「そうとすりゃ、何だい、トム」 トム 「そうとすりゃ、何でもねえじゃねえか。つまり、おれは暗闇のどこにでもいるってことになるだもの。どこにでも・・おっ母が見さえすりゃ、どこにでもいるだ。パンを食わせろと騒ぎを起せばどこであろうと、その騒ぎのなかにいるだ。警官が、おれたちの仲間をなぐってりゃ、そこにもおれはいるだよ。ケーシーが知ったら、何ていうかわからねえだが、仲間が怒って大声を出しゃ、そこにもおれはいるだろうて・・お腹のすいた子供たちが、食事の用意ができたというんで、声をあげて笑ってれば、そこにもおれはいるだ。そこに、おれたちの仲間が、自分の手で育てたものを食べ、自分の手で建てた家に住むようになれば、そのときにも・・うん、そこにも、おれはいるだろうよ。わかるかい。ちぇっ、おれの話し方、ケーシーに似てきやがっただ。あまりケーシーのことを考えすぎたからだね。ときどき、やつの姿が目に見えるような気がするだよ」

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