Montag, Februar 25, 2013
やはりバロック期のドイツ語
やはりバロック期のドイツ語ということで、まだまだ30年戦争のドイツばらばら感満載で綴りも統一されてないし発音を反映したりしなかったりで大変なのだがそんなのは序の口である。中高ドイツ語よりは親しみやすいんじゃない?
それでも初期新高ドイツ語大辞典とかグリムも見ながらアンドレアス・グリューフィウスの『ホリビリクリブリファックス・トイッチュ』なんていう名作を読んでみると、野卑な民衆の笑いが伝わってきて、教訓と笑いと少しの涙の絶妙なバランスが素晴らしいエンターテイメントなのだった。
神秘主義なんていうのもこの時代の実利主義から反転した厭世感がひしひしと伝わってくるような文献があって、もしかして修道院にいながらコイツは神なんてまったく信じていなかったか、神を憎んで生きていたのかもしれないなんて思う。
オカルトもかなりディープなやつがあって(うちの大学図書館は小さいくせになんでもあるな!)悪魔崇拝を興味本位で扱うビニ本じみたやつから、神に対して真摯なあまり異端の思想に向かった磔刑者が書き残した手記みたいなものも写本から活字に起こしてあって、Fnhdでぎりぎり読めるのだった。
手書きだったらアウトだったかな。しかしあの怪碩学キルヒャーのナマもの図鑑とか地底世界録だってみんな本気出せばなんとか読めてたのだから、Fnhdは我らが三田独文学生の た☆し☆な☆み!
そうしているうちに独文図書館旧館の書庫なんかも入るようになって、院生は、写本も特別貴重本以外は手袋とマスク持参すれば見せてくれたりするので、手書き本に挑戦してみたりするようになったのだった。いい加減マイクロフィルム化ぐらいされてるかと思ったが、
ヘッセン・ダルムシュタット方伯ルートヴィヒV世の書庫とか貧乏領邦君主にしては膨大で、無名人の日記レベルをスキャンしてるといくら予算と時間があっても足りないので、しまいっぱなしにしてあるらしい。国家予算を投入しないと。
まぁイタリアの古い修道院とか未だに一山いくらで売るほど古文書が余ってるんだろうし、重要っぽいやつだけ拾ってあとは反故紙扱いでも仕方ないね。そんな風に思いつつ、当時のブ厚い業務日誌みたいなやつとかを読めもしないのにこねくり回して、ただもう日がな一日無為に過ごしていたのだが、そんなディレッタント生活にも少しは発見があるものだ。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ユンツト、ラウターバッハ出身のこのロマン主義時代の好事家はオカルティストで、彼の書き残したユーラシア旅行記はかなりの潤色を含む怪しげなものである。ユンツトが実際にチベットやモンゴルに旅したかどうかさえ疑いを持たれている。
19世紀ユーラシア内陸部の知られざる異教の祭儀の詳細は、冒涜として発表を禁ぜられ、死後友人によって焼き捨てられたという。
1839年にデュッセルドルフのミヒャエル・イムホーフ書店から四つ折り版で限られた部数が出版され、その忌まわしい内容から好事家の間で密かに取引されるにとどまった。
バロック期に設立された大学の例にもれずギーセン大学も、もとがプロテスタントの牧師養成所なので小さな神学部も独立して併設されているのだがここの図書館に行くと、だれも見向きもしない稀覯書を手に取ることができる。古いのだが、学術的な価値の低い黄表紙の類で、ゴシップとかオカルトとかいった非専門的で通俗的な内容の書籍である。
強盗ボナパルト
ああでもヘッセンに城は売るほどあるけど中世以来のお宝はボナパルト一族が盗んでいったから中はからっぽ。あっちこっちからイカモノを集めてきて無理やり飾ってある感。もともと貧乏領邦国家にはそんなに宝物はないのだけどね。
Sonntag, Februar 24, 2013
忽ち光明赫奕として千手観音の
まず当然のことながら、景清はいったん頼朝方によって首をはねられる。ところがその首がいつの間にか観音の首に変化して、景清の首はもとのとおり胴体にくっつく。
フシ「よくよく見れば今まで景清の首と見えけるが、忽ち光明赫奕として千手観音の、御首と変じ給ひける
これを眼にした頼朝は痛く感心して、景清を許した上で、日向の国宮崎の庄を与えるのである。
地色「此の上は助け置き、日向の国宮崎の庄をあて行ふと、御懇情の御言葉に御判を添へて給はりける
こうして景清と頼朝は和解した。その和解のしるしに景清は頼朝の所望に応じて、若き日の合戦の様子を語る。能では娘の所望だったものが、ここでは頼朝の所望に変えられているわけだ。
地色「景清辞するに及ばねば袴の裾を高く取り、お前に色代し、
ヲクリ「過ぎし昔を語りける
この先の語りの文句は、「いでその頃は寿永三年」以下、能「景清」のキリの部分をそのまま使っている。当時の民衆の間では、この部分は謡曲のたしなみとして誰でも知っていたことだろうから、観客はそこに古い謡曲と近松の新しい浄瑠璃との混交した醍醐味を発見して、そこに深い味わいを感じたものだと推測されるのである。
ハツア南無三宝、あさましや
かくて我が君御座を立たせ給ひければ・大名小名続いて座をぞ立ち給ふ・景清君の御後ろ姿をつくづくと見て・腰の刀するりと抜き、一文字に飛びかゝる・各々これはと気色を変へ、太刀の柄に手をかくれば・景清しさつて刀を捨て・五体を投げうち、涙を流し・
ハツア南無三宝、あさましや・いづれも聞いて給はれ・かくありがたき御恩賞を受けながら・凡夫心の悲しさは昔に返る恨みの一念・御姿を見申せば、主君の敵なるものをと・当座の御恩ははや忘れ、尾籠の振舞、面目なや・まつぴら御免を蒙らん・まことに人の習ひにて心にまかせぬ人心・今より後も我と我が身をいさむるとも・君を拝む度毎に、よもこの所存は止み申さず・かへつて仇とやなり申さん・とかくこの両眼のある故なれば、今より君を見ぬやうに
と・言ひもあへず差し添へ抜き、両の目玉をくり出だし・御前に差し上げて、スヱテ頭をうなたれゐたりけり・
ああ、南無三宝、浅ましいことよ。聞いてくだされ皆の衆、このように有難い恩賞を受けておいて、凡夫の心の悲しさは、思い返すは昔の恨みの一念だけ。頼朝殿の姿を見れば我が主君の仇と、今受けた恩をもう忘れて恩知らずな振る舞いをしてしまうのも面目ない。このようなことは許されぬが、まことに止めがたい人の行いであって思い通りにならない。これからも自分で自分を止めようとしても頼朝殿の姿を見るたびにこのような振る舞いに及んでしまうのは止めがたいだろうから、むしろ敵になってしまうことであろう。とにかくこの両目があるせいなのだから、今から頼朝殿を見られないように…
と言い終わらないうちに短刀を抜いて両目をくり抜き、頼朝の前に差し出してうなだれていた。
ハツア南無三宝、あさましや・いづれも聞いて給はれ・かくありがたき御恩賞を受けながら・凡夫心の悲しさは昔に返る恨みの一念・御姿を見申せば、主君の敵なるものをと・当座の御恩ははや忘れ、尾籠の振舞、面目なや・まつぴら御免を蒙らん・まことに人の習ひにて心にまかせぬ人心・今より後も我と我が身をいさむるとも・君を拝む度毎に、よもこの所存は止み申さず・かへつて仇とやなり申さん・とかくこの両眼のある故なれば、今より君を見ぬやうに
と・言ひもあへず差し添へ抜き、両の目玉をくり出だし・御前に差し上げて、スヱテ頭をうなたれゐたりけり・
ああ、南無三宝、浅ましいことよ。聞いてくだされ皆の衆、このように有難い恩賞を受けておいて、凡夫の心の悲しさは、思い返すは昔の恨みの一念だけ。頼朝殿の姿を見れば我が主君の仇と、今受けた恩をもう忘れて恩知らずな振る舞いをしてしまうのも面目ない。このようなことは許されぬが、まことに止めがたい人の行いであって思い通りにならない。これからも自分で自分を止めようとしても頼朝殿の姿を見るたびにこのような振る舞いに及んでしまうのは止めがたいだろうから、むしろ敵になってしまうことであろう。とにかくこの両目があるせいなのだから、今から頼朝殿を見られないように…
と言い終わらないうちに短刀を抜いて両目をくり抜き、頼朝の前に差し出してうなだれていた。
鬼をあざむく景清も
さても是非なき風情なり・ 景清は身をもだえ、泣けど叫べど甲斐ぞなき・
神や仏はなき世かの。さりとては許してくれよ・やれ兄弟よ、我が妻よ
と、鬼をあざむく景清も・スヱテ声を上げてぞ泣きゐたり・
なう、もはや長らへて何方へ帰らうぞ・やれ子供よ、母が誤りたればこそ、かく詫び言いたせども・つれなき父御の言葉を聞いたか・親や夫に敵と思はれ、おぬしらとても生き甲斐なし・このうへは父親持つたと思ふな。母ばかりが子なるぞや・自らも長らへて非道のうき名流さんこと、未来をかけて情けなや・いざもろともに死出の山にて言訳せよ・いかに景清殿・わらはが心底これまでなり
それではもはやこれ以上生きてどこへ帰ろうか。ああ我が子よ、母は過ちを犯したからこうやってお詫びしたのに情けない父上のお言葉を聞いたでしょうか。親や夫に敵と思われてはお前たちも生きていても仕方がありません。この上は父親を持ったと思わないでおくれ。お前たちはこの母だけの子です。私だって生き延びて非道者と噂されるのは将来に渡って情けないことです。さあ、一緒に死んで地獄で申し開き致しましょう。さあ景清殿、私の気持ちを述べるのもこれで最後です。
と・弥石を引き寄せ、守り刀をずはと抜き・
南無阿弥陀仏
と刺し通せば、弥若驚き、声を立て・
いやいや我は母さまの子ではなし・父上、助け給へや
と・牢の格子へ顔をさし入れさし入れ逃げ歩(あり)く・
エゝ卑怯なり
と引き寄すれば、
わつ
と言うて手を合せ・
許してたべ。堪(こら)へてたべ・明日からはおとなしう月代(さかやき)も剃(そ)り申さん・灸(やいと)をもすゑませう・さても邪見(じやけん)の母上さまや・助けてたべ、父上さま
と、スヱテ息をはかりに泣きわめく・
オオ理りよ。さりながら・殺す母は殺さいで、助くる父御(ちちご) の殺さるゝぞ・あれ見よ。兄もおとなしう死したれば・おことや母も死なでは父への言訳なし・いとしい者よ、よう聞け
と・勧め給へば、聞き入れて、
あ、それならば死にませう・父上さらば
と言ひ捨てて・兄が死骸(しがい)に寄りかゝり、打ち仰(あふ)のきし顔を見て、いづくに刀を立つべきぞと・阿古屋は目もくれ、手もなえて、フシまろび・伏して嘆きしが・
エヽ今はかなふまじ。必ず前世(ぜんぜ)の約束と思ひ、母ばし恨むるな・おつつけ行(ゆ)くぞ。南無阿弥陀
と、心もとを刺し通し・
さあ今は恨みを晴らし給へ。迎へ給へ。御仏(みほとけ)
と・刀を咽(のど)に押し当て、兄弟が死骸の上にかつばと伏し・共に空しくなり給ふ、フシさても是非なき風情なり・ 景清は身をもだえ、泣けど叫べど甲斐ぞなき・
神や仏はなき世かの。さりとては許してくれよ・やれ兄弟よ、我が妻よ
と、鬼をあざむく景清も・スヱテ声を上げてぞ泣きゐたり・
神や仏はなき世かの。さりとては許してくれよ・やれ兄弟よ、我が妻よ
と、鬼をあざむく景清も・スヱテ声を上げてぞ泣きゐたり・
なう、もはや長らへて何方へ帰らうぞ・やれ子供よ、母が誤りたればこそ、かく詫び言いたせども・つれなき父御の言葉を聞いたか・親や夫に敵と思はれ、おぬしらとても生き甲斐なし・このうへは父親持つたと思ふな。母ばかりが子なるぞや・自らも長らへて非道のうき名流さんこと、未来をかけて情けなや・いざもろともに死出の山にて言訳せよ・いかに景清殿・わらはが心底これまでなり
それではもはやこれ以上生きてどこへ帰ろうか。ああ我が子よ、母は過ちを犯したからこうやってお詫びしたのに情けない父上のお言葉を聞いたでしょうか。親や夫に敵と思われてはお前たちも生きていても仕方がありません。この上は父親を持ったと思わないでおくれ。お前たちはこの母だけの子です。私だって生き延びて非道者と噂されるのは将来に渡って情けないことです。さあ、一緒に死んで地獄で申し開き致しましょう。さあ景清殿、私の気持ちを述べるのもこれで最後です。
と・弥石を引き寄せ、守り刀をずはと抜き・
南無阿弥陀仏
と刺し通せば、弥若驚き、声を立て・
いやいや我は母さまの子ではなし・父上、助け給へや
と・牢の格子へ顔をさし入れさし入れ逃げ歩(あり)く・
エゝ卑怯なり
と引き寄すれば、
わつ
と言うて手を合せ・
許してたべ。堪(こら)へてたべ・明日からはおとなしう月代(さかやき)も剃(そ)り申さん・灸(やいと)をもすゑませう・さても邪見(じやけん)の母上さまや・助けてたべ、父上さま
と、スヱテ息をはかりに泣きわめく・
オオ理りよ。さりながら・殺す母は殺さいで、助くる父御(ちちご) の殺さるゝぞ・あれ見よ。兄もおとなしう死したれば・おことや母も死なでは父への言訳なし・いとしい者よ、よう聞け
と・勧め給へば、聞き入れて、
あ、それならば死にませう・父上さらば
と言ひ捨てて・兄が死骸(しがい)に寄りかゝり、打ち仰(あふ)のきし顔を見て、いづくに刀を立つべきぞと・阿古屋は目もくれ、手もなえて、フシまろび・伏して嘆きしが・
エヽ今はかなふまじ。必ず前世(ぜんぜ)の約束と思ひ、母ばし恨むるな・おつつけ行(ゆ)くぞ。南無阿弥陀
と、心もとを刺し通し・
さあ今は恨みを晴らし給へ。迎へ給へ。御仏(みほとけ)
と・刀を咽(のど)に押し当て、兄弟が死骸の上にかつばと伏し・共に空しくなり給ふ、フシさても是非なき風情なり・ 景清は身をもだえ、泣けど叫べど甲斐ぞなき・
神や仏はなき世かの。さりとては許してくれよ・やれ兄弟よ、我が妻よ
と、鬼をあざむく景清も・スヱテ声を上げてぞ泣きゐたり・
Samstag, Februar 23, 2013
アメリカね、あんなの中世ですよ
フュルンケース先生が「アメリカね、あんなの中世ですよ中世。で、大学が修道院。文化がそこだけで完結してて、あとはまぁ砂漠ですね」と憎々しげにおっしゃっていたのを思い出す。
nicht einfach nebenbei zu bezeichnen.
Solches Interesse kann man nicht einfach nebenbei oder nebentätig bezeichnen. Die leidenschaftlichen Motivationen zum Lernen haben irgendwie gemeinsame Wurzel in der Tiefe von unserem Bewusstsein. Ich glaube, dass sie sich nach langer Zeit auch wissenschaftlich integriert werden können.
なんなのフランちんと文通してるつもりなの?
いやいや長文書きすぎだろ顔面帳に…気持ち悪いよーなんなのフランちんと文通してるつもりなの?…まぁ彼女は貴重な長文書きだからな。返信するとなると相手が明確で書く気も起こるだろ。あーゆー公開の場でせいぜい書くがいいさドイツ語を。
Die Arroganz seiner Rede sieht man klar in der Zweiteilung der sozialen Schichten. Die Bellevue-Rede von Joachim Gauck klingt, als ob es nur mit Englisch als zweite Sprache bei der einfacheren sozialen Schicht reichen würde. Dieses Klassenbewusstsein scheint doch weniger problematisch zu sein. Das Problem liegt wohl in der Idee, dass man mit einer gemeinsamen Sprache die Völker in Europa besser vereinen kann.
Der Europarat hat seit Langem mit der Zusicherung der Unterschiedlichkeit der Sprachen mit allgemeinem Standard beschäftigt. Mit den verschiedenen Beschreibungen der Fähigkeit, womit man bestimmte konkrete Aufgabe schafft, verwirklicht der europäische gemeinsame Referenzrahmen die generelle Bewertung der Sprachkompetenz.
Im Rahmen dieses Bewertungs- und Beschreibungssystem der Sprachfähigkeit finde ich die Kompetenz der Problemlösung und der Kooperation, um mit der Situation umzugehen am wichtigsten. Diese Einschätzung der Fähigkeit hängt nicht nur von der Häufigkeit des Sprachgebrauchs oder der grammatischen Fehlerlosigkeit ab, sondern auch von der störungsfreien mühelosen Leistung mit der Lernsprache ab.
Auch wenn in den europäischen Ländern Englisch relativ verbreiteter Sprache ist, sprechen die Leute viel lieber mit jemandem, der ihre Muttersprache kann. (Als du in Tokyo den Weg verloren hast, solltest du es richtig verstanden haben. Wenn du nur Englisch gesprochen und gehört hättest, wäre es viel schwieriger nach Hause zurückzukommen. Ich weiß ja, dass das Beispiel nicht vollständig mit dem Thema zutrifft. Aber gefühlsmäßig kann das doch teilweise der Fall sein.) Ich glaube, dass der Bundespräsident diese einfache Wahrheit wohl vergessen hat. "Gemeinsame Sprache" kann niemals "eine gemeinsame Sprache" sein, sondern je nach der Situation immer anderes sein.
Die Arroganz seiner Rede sieht man klar in der Zweiteilung der sozialen Schichten. Die Bellevue-Rede von Joachim Gauck klingt, als ob es nur mit Englisch als zweite Sprache bei der einfacheren sozialen Schicht reichen würde. Dieses Klassenbewusstsein scheint doch weniger problematisch zu sein. Das Problem liegt wohl in der Idee, dass man mit einer gemeinsamen Sprache die Völker in Europa besser vereinen kann.
Der Europarat hat seit Langem mit der Zusicherung der Unterschiedlichkeit der Sprachen mit allgemeinem Standard beschäftigt. Mit den verschiedenen Beschreibungen der Fähigkeit, womit man bestimmte konkrete Aufgabe schafft, verwirklicht der europäische gemeinsame Referenzrahmen die generelle Bewertung der Sprachkompetenz.
Im Rahmen dieses Bewertungs- und Beschreibungssystem der Sprachfähigkeit finde ich die Kompetenz der Problemlösung und der Kooperation, um mit der Situation umzugehen am wichtigsten. Diese Einschätzung der Fähigkeit hängt nicht nur von der Häufigkeit des Sprachgebrauchs oder der grammatischen Fehlerlosigkeit ab, sondern auch von der störungsfreien mühelosen Leistung mit der Lernsprache ab.
Auch wenn in den europäischen Ländern Englisch relativ verbreiteter Sprache ist, sprechen die Leute viel lieber mit jemandem, der ihre Muttersprache kann. (Als du in Tokyo den Weg verloren hast, solltest du es richtig verstanden haben. Wenn du nur Englisch gesprochen und gehört hättest, wäre es viel schwieriger nach Hause zurückzukommen. Ich weiß ja, dass das Beispiel nicht vollständig mit dem Thema zutrifft. Aber gefühlsmäßig kann das doch teilweise der Fall sein.) Ich glaube, dass der Bundespräsident diese einfache Wahrheit wohl vergessen hat. "Gemeinsame Sprache" kann niemals "eine gemeinsame Sprache" sein, sondern je nach der Situation immer anderes sein.
研究室に入ってきて「ただいま!」
研究室に入ってきて「ただいま!」はもうナチュラルだし,返歌として「レジュメにする?論文にする?それともパ・ワ・ポ?♡」などという言葉が飛び交っておりなんかもう研究室全体に疲弊が見られる
— Taihei Ôki (@natrium11321) February 23, 2013
観光!第2新東京市
エヴァ関係ねーwww 普通の松代観光まんがだった!クオリティ高す。おやきとかドイツ現代文学ゼミナールで毎年食べてたから懐かしい。今は明日香荘が廃業してしまったので夏も箱根なんだっけ…?(涙)
【画像】エヴァの漫画描いたからみてってよ
【画像】エヴァの漫画描いたからみてってよ
Freitag, Februar 22, 2013
新藤兼人『鬼婆』
アニオタは多いけど、古い日本映画好きというシブい奴もいて、そんな人のおかげでドイツにいるくせに『鬼婆』っていう1960年代の映画を見たんですよ。戦乱を逃れて芒ヶ原に隠れ住む三人の男女。老いた女は若い二人から取り残される不安と嫉妬に捕われていく。そこに鬼の面を被った武者が訪れるが…
本当に老女に感情移入を促すようによくできていて、若く美しい女の残酷さとよく対をなしている。老女の孤独さが悲しくて、生計の不安も、否応なく確認させられる肉体的/容姿の衰えも若い女のせいでますます際立つ。
若い女は中盤までセリフらしいセリフもなくやや無個性に見えるのだが、男との逢瀬や老女への態度からだんだんその性格が際立ってくる。野性的で現世的な、戦乱の時代の女ならいかにもこうなりそうなリアルさを持っていて、その強さが終盤になると激しく噴出してくる。
男は負け戦から逃げ帰ってきて、自分が見殺しにした親友の母親と嫁のところに転がり込んでくるのだが、親友の嫁を狙ってはその義母に邪魔されるという役どころ。野性味と剽軽さがあって憎めないタイプなのだが、若い女を誘惑しながら老女に邪険にする。
老女は気丈な女なのだが、息子は戦に取られ、嫁がいなければ落ち武者狩りの裏稼業もおぼつかない。男に嫁が奪われないかと心配するが、男から女として扱われないことへの不満と嫁の若さへの嫉妬に陥っていく。
「お前にうちの嫁をとられては暮らしていけんでの。それよりわしなんぞどうじゃ。ちぃとは年をとったが、これで結構中身はまだまだ女じゃぞい」「へっ誰がてめぇみてぇなババアなんぞ」「言うたな!嫁に手を出してみぃ、ただじゃおかん」「好きおうとるのだからわしらの勝手じゃ」「そりゃどうかの!」
「昔、都の偉い坊さんに聞いた話じゃ。みだらなことをすれば、地獄に落ちるそうじゃぞい」「おっかぁ、地獄なんぞあるもんかい」「いやいやある。お前も、わしの息子の嫁じゃ、あれが死んだかどうかも分からんのに男とつるんでみぃ。恐ろしいことになるでの」「ハチが見たと言うんじゃ、死んだわい。」
*男「楠正成の湊川の戦で仲間がたくさん死んでのう。帝は吉野山に逃げ込んだとよ。都は都で荒れ放題じゃ。なぁにざまぁ見ろだ。あれだけ殺して自分だけ生きとるんじゃ、せいぜい苦しむがいいや」老女「味方も敵も死なせて自分は鬼の面被って逃げたか!これが報いじゃ!ざまぁ見ろい!」若い女「さんざん脅かしよってこの婆!ずっとその面をつけてるがええ!ざま見ろじゃ!」
男「帝は吉野山に逃げ込んだとよ。都は都で荒れ放題じゃ。なぁにざまぁ見ろだ。どっちもせいぜい苦しむがいいや」老女「味方も敵も死なせて自分は鬼の面被って逃げたか!これが報いじゃ!ざまぁ見ろじゃ!」若い女「さんざん脅かしよってこの婆!ずっとその面をつけてるがええ!ざまぁ見ろい!」
本当に老女に感情移入を促すようによくできていて、若く美しい女の残酷さとよく対をなしている。老女の孤独さが悲しくて、生計の不安も、否応なく確認させられる肉体的/容姿の衰えも若い女のせいでますます際立つ。
若い女は中盤までセリフらしいセリフもなくやや無個性に見えるのだが、男との逢瀬や老女への態度からだんだんその性格が際立ってくる。野性的で現世的な、戦乱の時代の女ならいかにもこうなりそうなリアルさを持っていて、その強さが終盤になると激しく噴出してくる。
男は負け戦から逃げ帰ってきて、自分が見殺しにした親友の母親と嫁のところに転がり込んでくるのだが、親友の嫁を狙ってはその義母に邪魔されるという役どころ。野性味と剽軽さがあって憎めないタイプなのだが、若い女を誘惑しながら老女に邪険にする。
老女は気丈な女なのだが、息子は戦に取られ、嫁がいなければ落ち武者狩りの裏稼業もおぼつかない。男に嫁が奪われないかと心配するが、男から女として扱われないことへの不満と嫁の若さへの嫉妬に陥っていく。
「お前にうちの嫁をとられては暮らしていけんでの。それよりわしなんぞどうじゃ。ちぃとは年をとったが、これで結構中身はまだまだ女じゃぞい」「へっ誰がてめぇみてぇなババアなんぞ」「言うたな!嫁に手を出してみぃ、ただじゃおかん」「好きおうとるのだからわしらの勝手じゃ」「そりゃどうかの!」
「昔、都の偉い坊さんに聞いた話じゃ。みだらなことをすれば、地獄に落ちるそうじゃぞい」「おっかぁ、地獄なんぞあるもんかい」「いやいやある。お前も、わしの息子の嫁じゃ、あれが死んだかどうかも分からんのに男とつるんでみぃ。恐ろしいことになるでの」「ハチが見たと言うんじゃ、死んだわい。」
*男「楠正成の湊川の戦で仲間がたくさん死んでのう。帝は吉野山に逃げ込んだとよ。都は都で荒れ放題じゃ。なぁにざまぁ見ろだ。あれだけ殺して自分だけ生きとるんじゃ、せいぜい苦しむがいいや」老女「味方も敵も死なせて自分は鬼の面被って逃げたか!これが報いじゃ!ざまぁ見ろい!」若い女「さんざん脅かしよってこの婆!ずっとその面をつけてるがええ!ざま見ろじゃ!」
男「帝は吉野山に逃げ込んだとよ。都は都で荒れ放題じゃ。なぁにざまぁ見ろだ。どっちもせいぜい苦しむがいいや」老女「味方も敵も死なせて自分は鬼の面被って逃げたか!これが報いじゃ!ざまぁ見ろじゃ!」若い女「さんざん脅かしよってこの婆!ずっとその面をつけてるがええ!ざまぁ見ろい!」
ショアかわいい
ショアかわいい。わりと自分撮り好きな子でプロフ画像とかしょっちゅう変えてるけどそのたびにすぐ100以上イイネがついてるのを見るとネットアイドルかよwって思うけどほんとカワイイからな。一言「さむい…」とか言うだけでかわいいからズルい!丸顔小型インド女子ズルい!………ジャスティス!
傭兵隊長グリンメルスハウゼンは
Günter Grass "Das Treffen in Telgte" (1979) ギュンター・グラス『テルクテの出会い』から。のちに『阿呆物語』で名を残す傭兵隊長グリンメルスハウゼンは、この架空の文学シンポジウムに参加した当代一の文人たちに辱められて捨て台詞を吐く。
共同購入の飲料費の未払い分
ヴィン「カイセーは偉いなぁすぐ払うから」昨年廃止した共同購入の飲料費の未払い分を清算する。請求されてヤン機嫌悪すぎわろた。苛立つアヌーアとマイクに僕は言った。「しょーがない。誰が喜んで去年の借金を払うもんか。おれのも去年とっくに払ってなきゃいけなかったけど、こういうのは喜んで忘れるものだろ?」
イーヴァンが気を遣うことを覚えた
イーヴァンが気を遣うことを覚えた!「今日、地下室にお客さん呼ぶんだけどうるさかったら電話してね。わざわざ降りてくるのめんどくさいっしょ?」だとさ!まめに苦情を言った甲斐があった…のか?(笑 まずうるさくすんなって話だし、隣人なのにいまさら電話番号知ったし(笑
スタインベック『怒りの葡萄』最終章から
お腹のすいた子供たちが、食事の用意ができたというんで、声をあげて笑ってれば、そこにもおれはいるだ。そこに、おれたちの仲間が、自分の手で育てたものを食べ、自分の手で建てた家に住むようになれば、そのときにも・・うん、そこにも、おれはいるだろうよ。(怒りの葡萄)
荒野なんてものは何の役にもたたねえ。なぜってやつのもってる霊の一かけら一かけらは残りの一かけら一かけらといっしょになり全体のものとなるんでなけりゃ役にたたねえからというわけだて。(…)でも、おれは、いま気がついただよ、人間一人ぼっちでは何の役にもたたねえってことをな(怒りの葡萄
荒野なんてものは何の役にもたたねえ。なぜってやつのもってる霊の一かけら一かけらは残りの一かけら一かけらといっしょになり全体のものとなるんでなけりゃ役にたたねえからというわけだて。(…)でも、おれは、いま気がついただよ、人間一人ぼっちでは何の役にもたたねえってことをな(怒りの葡萄
シュトッフェルはまたやって来る
重要機密によると、聖職会議は九十万ターラーの金を和平の発効のため払わねばならないだろう。ヘッセン人どもがコーブルクから、スウェーデン人どもがヴェクタから、そしてオラーニエン人どもがベヴェールゲーンから撤収するそのために。この戦にはまだ長いこと金が費やされるだろう。
*しかしおれはタダで約束する。シュトッフェルはまたやって来る。必ず!何年も何年も、その上にまた一年もかけてその知識を磨き上げ、ハルスデルファーの原典に浸り、モシェロシェの職人技を習い、諸々の論文の作法を渉猟しきってから、それからまたここにやってくる。活発の上にも活発に、たくさん文字の印刷された紙に隠れて。
しかしおれはタダで約束する。シュトッフェルはまたやって来る。必ず!何年も何年も、そのまた一年もかけて知識を磨き、ハルスデルファーの原典に浸り、モシェロシェの職人技を習い、諸々の論文の作法を渉猟し、そしてまたここにやってくる。活発の上にも活発に、たくさん文字の印刷された紙に隠れて。
だがおれに徒然の羊飼いの詩、通り一遍の挽歌、難解な具体詩、教会のために作る繊細にして心震わすような詩とか正確な韻を踏んだ詩なんぞを期待してくれるな。むしろおれはこの長ったらしい戦を言葉による殺戮として改めて開始するクロノスの徒となるだろう。
そして絶望的な哄笑をぶっ放し、言葉が自分の育ってきたとおり歩めるように道を作ろう。粗野にして繊細、癒されながら傷つき、こちらでは煙に巻き、あちらでは物憂げに、それでいて常に人生とその酒樽を飲み干すように。おれは書きたくてたまらんのさ!ユピテル、メルクール、そしてアポロにかけて!
*しかしおれはタダで約束する。シュトッフェルはまたやって来る。必ず!何年も何年も、その上にまた一年もかけてその知識を磨き上げ、ハルスデルファーの原典に浸り、モシェロシェの職人技を習い、諸々の論文の作法を渉猟しきってから、それからまたここにやってくる。活発の上にも活発に、たくさん文字の印刷された紙に隠れて。
しかしおれはタダで約束する。シュトッフェルはまたやって来る。必ず!何年も何年も、そのまた一年もかけて知識を磨き、ハルスデルファーの原典に浸り、モシェロシェの職人技を習い、諸々の論文の作法を渉猟し、そしてまたここにやってくる。活発の上にも活発に、たくさん文字の印刷された紙に隠れて。
だがおれに徒然の羊飼いの詩、通り一遍の挽歌、難解な具体詩、教会のために作る繊細にして心震わすような詩とか正確な韻を踏んだ詩なんぞを期待してくれるな。むしろおれはこの長ったらしい戦を言葉による殺戮として改めて開始するクロノスの徒となるだろう。
そして絶望的な哄笑をぶっ放し、言葉が自分の育ってきたとおり歩めるように道を作ろう。粗野にして繊細、癒されながら傷つき、こちらでは煙に巻き、あちらでは物憂げに、それでいて常に人生とその酒樽を飲み干すように。おれは書きたくてたまらんのさ!ユピテル、メルクール、そしてアポロにかけて!
ひきこもるの良くない!と思ったけど
ひきこもるの良くない!と思ったけど考えたら Halle は行くわ Düsseldorf は行くわで今度は Rostock も行くし、去年だって Münster に行って Den Haag に行ってだったから、ドイツ最初の一年よりはよっぽど能動的に動いて人にも会っていた。毎週 Marburg に通ってるし。はっきりいってもっと孤独にならないとダメなレベル。
Donnerstag, Februar 21, 2013
夜中の空腹をごまかすレシピ
https://twitter.com/reraku/status/304620660678873088
【夜中の空腹をごまかすレシピその1】 果汁100%ジュース(なんでも)をコップにいれてレンジでチン。ダイエットシュガーを添加して甘さを激増する。暖まったところに難消化性デキストリンを5〜10g入れて溶かして完成。甘いので満足感も有り難消化性デキストリンが血糖値をゆっくり維持
生活できているからといって、「それが正確な英語を学ばなくて良いって理由にはならねぇ」
https://twitter.com/gorotaku/status/304502044096602113
生活できているからといって、「それが正確な英語を学ばなくて良いって理由にはならねぇ」という話を実体験からわかりやすく。これを読んでもブコメで「TOEICはクソ」とか言ってる人達は何がしたいの? / “『海外に住めば英語は出来るよう…” http://htn.to/uAvhvG
Mittwoch, Februar 20, 2013
Sonntag, Februar 10, 2013
Dienstag, Februar 05, 2013
A normal day in Pokemon land
A normal day in Pokemon land
http://9gag.com/gag/5296968?ref=fb.s
Ich wette, darauf steht es!
┌(┌ ^o^)┐ マッチョォォォ!!!
Sonntag, Februar 03, 2013
南洲翁遺訓
聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚も企て及ばぬと云ふ樣なる心ならば、戰に臨みて逃るより猶ほ卑怯なり。
道を行ふ者は、天下擧て毀るも足らざるとせず、天下擧て譽るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。
道を行ふ者は、天下擧て毀るも足らざるとせず、天下擧て譽るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。
Vivere militare est. ---Seneca, "Epistulae morales ad Lucilium"
Vivere militare est. ---Seneca, "Epistulae morales ad Lucilium"
Kagekiyo zerreißt den Schuppenhelm 景清の錣引き
悪七兵衛景清の活躍
"Hör zu, wer in der Ferne! Komm her und sieht mich an, wer in der Nähe!"
Schuppenhelm, der
Schleppe, die
Saum, der
die Schleppe des Schuppenhelms
der Saum des Schuppenhelm
"Wenn du in der Ferne bist, hör doch/nur meine Stimme zu! Wenn du in der Nähe bist, komm mal her um mich zu sehen!"
"Ich bin Kagekiyo der Starke, siebter Sohn von Kazusa. In Kyoto erzählt jeder meine Geschichte. " /Jeder spricht über mich in Kyoto.
「遠からん者は音にも聞け、近くは寄って目にも見よ。我こそは、京で噂の上総悪七兵衛景清よ」
「出世景清」
Bedeutung von Ortsnamen
清水坂 Weihbrunnenberg
悪七兵衛景清 Kagekiyo der Starke
阿古屋 Akoya
die Kokott im Weihbrunnenberg
伊庭十蔵 Jûzô
älterer Bruder Akoyas
熱田神宮大宮司
Erzpriester von Schrein am Brandfeld
小野姫 Prinzessin Ono
Kagekiyos Frau, Tochter vom Erzpriester im Brandfeld/Erzpriesters Tochter von Brandfeld
畠山重忠 Shigetada
悪七兵衛景清 Kagekiyo der Starke
阿古屋 Akoya
die Kokott im Weihbrunnenberg
伊庭十蔵 Jûzô
älterer Bruder Akoyas
熱田神宮大宮司
Erzpriester von Schrein am Brandfeld
小野姫 Prinzessin Ono
Kagekiyos Frau, Tochter vom Erzpriester im Brandfeld/Erzpriesters Tochter von Brandfeld
畠山重忠 Shigetada
tüchtiger Berater des Yoritomos
観音 Kan'non,
die weibliche Verkörperlichung des Buddas in seinem anderen vergangenen Leben
meistens auf Deutsch Guānyīn: aussprachlich direkt aus Chinesisch ausgeliehen
出世景清五段目観音 Kan'non,
die weibliche Verkörperlichung des Buddas in seinem anderen vergangenen Leben
meistens auf Deutsch Guānyīn: aussprachlich direkt aus Chinesisch ausgeliehen
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