Sonntag, Februar 24, 2013
忽ち光明赫奕として千手観音の
まず当然のことながら、景清はいったん頼朝方によって首をはねられる。ところがその首がいつの間にか観音の首に変化して、景清の首はもとのとおり胴体にくっつく。
フシ「よくよく見れば今まで景清の首と見えけるが、忽ち光明赫奕として千手観音の、御首と変じ給ひける
これを眼にした頼朝は痛く感心して、景清を許した上で、日向の国宮崎の庄を与えるのである。
地色「此の上は助け置き、日向の国宮崎の庄をあて行ふと、御懇情の御言葉に御判を添へて給はりける
こうして景清と頼朝は和解した。その和解のしるしに景清は頼朝の所望に応じて、若き日の合戦の様子を語る。能では娘の所望だったものが、ここでは頼朝の所望に変えられているわけだ。
地色「景清辞するに及ばねば袴の裾を高く取り、お前に色代し、
ヲクリ「過ぎし昔を語りける
この先の語りの文句は、「いでその頃は寿永三年」以下、能「景清」のキリの部分をそのまま使っている。当時の民衆の間では、この部分は謡曲のたしなみとして誰でも知っていたことだろうから、観客はそこに古い謡曲と近松の新しい浄瑠璃との混交した醍醐味を発見して、そこに深い味わいを感じたものだと推測されるのである。
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