Montag, Februar 25, 2013

やはりバロック期のドイツ語


やはりバロック期のドイツ語ということで、まだまだ30年戦争のドイツばらばら感満載で綴りも統一されてないし発音を反映したりしなかったりで大変なのだがそんなのは序の口である。中高ドイツ語よりは親しみやすいんじゃない?

それでも初期新高ドイツ語大辞典とかグリムも見ながらアンドレアス・グリューフィウスの『ホリビリクリブリファックス・トイッチュ』なんていう名作を読んでみると、野卑な民衆の笑いが伝わってきて、教訓と笑いと少しの涙の絶妙なバランスが素晴らしいエンターテイメントなのだった。

神秘主義なんていうのもこの時代の実利主義から反転した厭世感がひしひしと伝わってくるような文献があって、もしかして修道院にいながらコイツは神なんてまったく信じていなかったか、神を憎んで生きていたのかもしれないなんて思う。

オカルトもかなりディープなやつがあって(うちの大学図書館は小さいくせになんでもあるな!)悪魔崇拝を興味本位で扱うビニ本じみたやつから、神に対して真摯なあまり異端の思想に向かった磔刑者が書き残した手記みたいなものも写本から活字に起こしてあって、Fnhdでぎりぎり読めるのだった。

手書きだったらアウトだったかな。しかしあの怪碩学キルヒャーのナマもの図鑑とか地底世界録だってみんな本気出せばなんとか読めてたのだから、Fnhdは我らが三田独文学生の た☆し☆な☆み!

そうしているうちに独文図書館旧館の書庫なんかも入るようになって、院生は、写本も特別貴重本以外は手袋とマスク持参すれば見せてくれたりするので、手書き本に挑戦してみたりするようになったのだった。いい加減マイクロフィルム化ぐらいされてるかと思ったが、

ヘッセン・ダルムシュタット方伯ルートヴィヒV世の書庫とか貧乏領邦君主にしては膨大で、無名人の日記レベルをスキャンしてるといくら予算と時間があっても足りないので、しまいっぱなしにしてあるらしい。国家予算を投入しないと。

まぁイタリアの古い修道院とか未だに一山いくらで売るほど古文書が余ってるんだろうし、重要っぽいやつだけ拾ってあとは反故紙扱いでも仕方ないね。そんな風に思いつつ、当時のブ厚い業務日誌みたいなやつとかを読めもしないのにこねくり回して、ただもう日がな一日無為に過ごしていたのだが、そんなディレッタント生活にも少しは発見があるものだ。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ユンツト、ラウターバッハ出身のこのロマン主義時代の好事家はオカルティストで、彼の書き残したユーラシア旅行記はかなりの潤色を含む怪しげなものである。ユンツトが実際にチベットやモンゴルに旅したかどうかさえ疑いを持たれている。

19世紀ユーラシア内陸部の知られざる異教の祭儀の詳細は、冒涜として発表を禁ぜられ、死後友人によって焼き捨てられたという。

1839年にデュッセルドルフのミヒャエル・イムホーフ書店から四つ折り版で限られた部数が出版され、その忌まわしい内容から好事家の間で密かに取引されるにとどまった。

バロック期に設立された大学の例にもれずギーセン大学も、もとがプロテスタントの牧師養成所なので小さな神学部も独立して併設されているのだがここの図書館に行くと、だれも見向きもしない稀覯書を手に取ることができる。古いのだが、学術的な価値の低い黄表紙の類で、ゴシップとかオカルトとかいった非専門的で通俗的な内容の書籍である。










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